”学び”から”実践”へ
”学び”から”実践”
世の中には成長のための情報があふれ返っていますいますが、実践しなければ全く意味がありません。知識を得ることだけで満足していてもしょうがないのです。
大事なのは、”実践”。
学んだように生き始めるのが重要です。
私は、10年間心理学や精神世界、自己啓発の知識を溜め込んできましたが、実際に役立つことはありませんでした。
原因は、多くの情報に混乱していたこと、学ぶことばかりで実践しなかったこと、自分が無かったこと、いつも不安であったこと・・・・
とにかく、
”今の自分はダメ”
”今の自分には知識が足りない”
”今の自分では将来に希望が持てない”
などと、ありのままの自分を認められず、足りない物を補おうとばかりしていたのです。
学ぶことはいいことかもしれませんが、あまりに”学び”に意識が向いてしまうと、”心理学的”に言っても、”スピリチュアル的”に言っても、「今の自分はダメ」という在り方を強めてしまうだけなのです。今の自分で十分であるという在り方である上で学ぶことは何の問題もないのですが、”今はダメ”前提の学びは、”今はダメ”という在り方に沿った体験を繰り返すことになります。
ではどのような”実践”が大事なのかというと、今のままで完璧であることを認め、それを当然のこととして生きることなんです。その大前提があった上での学びには、不足感も不安感もありません。
でも、「今のままで完璧などとは到底思えない」という方も多いでしょう。それは自我(エゴ)にとってはの話です。エゴとは元々そういう性質を持っているのです。別に悪いことではありません。ただし、エゴ目線でしか物事を捉えられないと、苦しみをより多く体験することになります。物事を良い・悪いでしか判定できないからです。エゴにとっては”ありのままで完璧である”という意味が解りません。
ですから、良い・悪いといった二元性を取っ払うか、視野を広げて全体で考えるしかないんです。次元を上げるとか抽象度を上げるとういことなんです・・・・・・・・
それらの点に関しては、私の別のブログ願望実現の本質 Game of Lifeでもご紹介しています。私の著作【人間ゲーム設定変更メソッド ~究極の願望実現法~】ではわかりやすくまとめています。
ただし、また今はダメ前提で学ばないでください。学ばなければ幸せになれないなどと考えないでください。本来誰もがそのままで完璧なんです。ただエゴがどうしてもそうは思えないと言い張っているだけですから。私のブログや著作の情報はちょっとしたヒントのようなものです。重要度は1%。重要度99%なのは、それぞれの”実践”です。「そのままで完璧である」という在り方を実践すること。
一旦、学びから離れるのもいいかもしれません。学ばないと遅れをとるということもありませんし、実践できないということもありません。
スピリチュアル的になりますが、誰もがそれぞれ”神”のようなものです。ですから「自分はダメである」という前提を決めつければ、そのような世界を創造し、そのまま体験することになるんです。とてもシンプルなことです。
神だから威張っていいということではありませんよ。すべてをそのまま認めることが出来るのですから威張ろうとも思わないはずです。生きていくうえで謙遜も遠慮も必要ありません。堂々と”根拠のない”自信を持って思うままに生きればいいのです。
それが分かっているうえで、学ぶことも、努力することも、謙遜することも自由です。”今の自分はダメ”だという在り方で生きるのも間違いではないのです。
本質的な自由を皆さんは最初から持っているのですから、思うままに使えばいいと思います。
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